発生発達病態学分野(小児科)
森尾 友宏
このたびは無事に退職を迎えられ、誠におめでとうございます。私は臨床医学教育開発学分野の前身である医学部附属病院総合診療部に2001年~2年9ヶ月お世話になりました。当初スタッフは田中雄二郎教授と私の2名のみ。以前の御茶ノ水駅に面する白い建物の5階に居を構え、居室の隣は教務課でした。CBT、OSCE、PBL、医療面接、医学英語講義などの立ち上げや、ソーシャルワーカーの導入、など田中教授は当時の廣川医学部長、西岡病院長の絶大な信頼もあり、次々と引き受けては、私にも次々と仕事を回して下さいました。教務課は(も)大変熱心で、当時の西山課長補佐からは「医科歯科大学の医学教育はまだまだ遅れていますね。一緒に頑張りましょう」という声かけをいただき、事務の皆さんの熱意にも押されて仕事を進めることができました。事務の方の強い熱意を感じたのは、このときが初めてでした。
Harvard Macy Instituteのリーダーシッププログラムを一緒に受けさせていただいたのも良い想い出です。イノベーションのジレンマで有名なハーバードビジネススクールのClayton Christensen先生の授業(しかもinteractive)など、とても贅沢な体験をさせていただきました。J. F. Kennedyのキューバ危機での対応についてのdiscussionがあったりして。しかし私は半分以上何を話しているのかわからず…。楽しくも辛い思いもいたしました。
今、医科歯科大学医学部は先端的な医学教育や、卒後臨床教育で有名になっていますが、当時は全くそのようなことはなく、むしろ遅れているぐらいだったと思います。現在の姿はひとえに田中教授の統率力と熱意によるもの、そして良い意味での「ひとたらし」能力によるものであることは間違いありません。
改善や改良には時間と労力をおしまず、しかし人的な阻害因子も多くて、よくこんなストレスに耐えられるものだと思っていましたが、「新しいストレスが来ると古いストレスを忘れさせてくれる(違う言い回しだったかもしれませんが、確か小泉純一郎前首相の言葉)」という格言を述べられ、妙に納得した記憶があります。
医学教育は教師の背中を見てもらえれば良いと思っていた私でしたが、少し改心した2年9ヶ月でした。体系的な教育や、適切な評価は教育の基本であり、それは既に確立しつつあると思います。一方個々人の力を伸ばすために、思考力や文章力、特異な才能をどう磨くのかも大切であり、それはこれからの臨床医学教育開発学分野の課題だろうと思っています。教師の背中、という点では、田中教授には光り輝く大きな背中を見せていただきました。これからもその姿勢を忘れずに、精進してまいりたいと思っています。これからのご健康と益々のご活躍をお祈りいたします。