北里大学医学部内分泌代謝内科学主任教授・北里大学図書館長
七里 眞義
私が田中雄二郎先生と初めてお会いしたのは、今から45年以上前になります。誰のネーミングか知りませんが医科歯科に入学してまもなくから、田中先生はあらゆる先輩・同級生から「雄ちゃん」の愛称で呼称されるようになっていました。学生時代の田中先生の6年間にわたる学習態度は真面目そのものでしたが、定期試験のときにも田中先生に助けられた人はどれほど多かったのかと思います。皆、親しみを感じていましたので、田中先生に話しかけるときに「雄ちゃん」以外の呼称を使っていた人の記憶がほとんどありません。
そんな田中先生の才能が誰の目にも明らかになったのは総合診療部の教授に就任されてからだと思います。当時の忙しい大学医学部や病院のような大きな組織で与えられている業務をこなすためには、派生する面倒な周辺業務をなるべく避けるべきだという考え方が主流でしたが、田中先生は本職の医学教育だけでなく、病院管理や組織改変などの仕事を依頼されると本格的に打ち込んでゆかれた姿勢に驚かされたものです。例えば、それ以前の東京医科歯科大学医学部附属病院にはソーシャルワーカーという職種は存在しなかったのですが、田中先生の努力によって文部科学省から医療福祉支援センターの設置が認可され、さらに優秀なソーシャルワーカーをリクルートして短期間で附属病院の重要な機能を果たすよう整備し、大きな恩恵がもたらされることになりました。
10年以上前に医科歯科を離れて以来、田中先生の御活躍に触れることはなくなりましたが、当時、総合診療部・医療福祉支援センターで学ばせていただいたことは現在、勤務する大学病院でも大変役立っています。本当にありがとうございました。