大林 日出雄先生からのメッセージ

消化器内科 地域医療

大林 日出雄

我が心の師 田中雄二郎 先生

雄二郎先生、25年以上にわたり師と仰いできた先生が御退任される日が来るなんて信じられない気持ちです。

先生との思い出は書ききれないほどあり、つい最近のことのような感じさえします。 先生は私が消化器内科に研修中、指導医でした。アメリカ留学から帰国された後でいつもジョークを飛ばし周りを楽しい気分にさせ、かつその時はまだ珍しかったマッキントッシュのラップトップパソコンを使いこなし、私はすぐにその人柄とカッコよさに虜になりました。その時、私は循環器内科志望でしたが、田中先生と一緒に仕事がしたいとの理由だけで消化器内科に入局しました。先生は弟子たちを本当に大切にしていました。初めての学会でも準備のため私と一緒に徹夜をして、翌日“これだけ準備したのだから大丈夫”と会場に向かい、初めてにしてはまあまあだったと、とんかつをおごっていただいたのを鮮烈に覚えています。

私の婚約のご報告のために先生のお宅に挨拶に伺った際、“いいお嬢さんだから大事にしてやりなさいよ”とお墨付きをいただき、現在も離婚もせず何とかやっています。

私の母の乳がんが発見された時も、先生は“大林君、任しとけ、心配するな”とすぐにご友人の専門医に連絡していただき手術していただきました。母も元気で間もなく80歳になります。

先生が尿管結石で大学に入院した時、激烈な痛みで苦しみながらも“大林君、一番できの悪い研修医を連れてきなさい、私の主治医にするから”とおっしゃたことも、今自分が学生や研修医を指導する立場で考えても、私にはとてもできないことです。

そして、先生の教育や指導にはいつも笑いがありました。先生の研究室はいつも幸せな気持ちに満ち溢れていました。先生はその当時まだ出世はしていなかったけれど、それでも先生にずっとついていきたいと思った。フロリダでの学会中にレンタカーを借りてドライブし人気のないビーチで泳いだこと、先生の家で毎年新年会をしてくださったこと、思い出したらきりがなく、また、何よりも普段の研究室自体が楽しかった。数年たち先生も異例の早さで教授選を迎えて、私たち田中班研究員はその結果を先生と共に待っていました。前祝のケーキの上のイチゴが落ちて先生は焦ってイチゴをケーキの上に戻していましたが、僕らにとってはどんな結果になってもずっとついていくことには変わりがなく、今までの田中班でもう充分だった。先生は総合診療部の教授に無事就任し、消化器内科との関連が僅かに少なくなりましたが、田中班のメンバーは先生を本当の師と仰いでいることにはまったく変りなく、いつでも心の支えであり誇りでありました。

先生は私たちに医学的な教育だけではなく、人の幸せとは何か考えさせる教育をしてくれたと今でも感じます。

医学的なテクニックより医療人として大事なことを感謝と謙虚と笑いの中で授けてくれました。

現在、私は田中先生に毎月1人の研修医と寝食共に過ごし教育する立場を与えられ、もう16年がたちました。大林内科で研修した研修医は間もなく200人を超えますが、先生の情熱や人に与える楽しい雰囲気や幸せのかけらを少しでも先生のように彼らに伝えていけているのだろうか?

私は親を超えられる子供はいないと思いますが、それと同じで本当の師を超えることはできないし、そのこと自体必要のないことでしょう。もう、既に修正できない過去にうけた幸せや感謝の気持ち、尊敬は今の自分を作り上げているのだから、、、。けれども、先生の本質に少しでも近づこうと毎日あがいています。

こんな日々のある夏の暑い夜に、いろいろな思いにとらわれながらこの文章を記しています。先生との日々を思い出すといつも心が温かくなりますが、永遠に続くと今までずっと感じてきた思いや感謝を、御退任に際して急にまとめて文章にするのは容易ではなく、これからも先生に師として様々なことを教わり続けたい身としては、自分の気持ちを形にするのは少し恥ずかしく思えます。先生の御退任記念誌にふさわしい格調高い文章にすべきだったのかもしれないが、それは諸先輩先生方の役割として、私は田中班の身内の立場でつたない文章を寄稿させていただいたことをお許しください。

先生がこれからも健康で私たちの師として、先生のモットーである“笑いと感謝と謙虚”と共にご活躍されることを祈念致します。

若かりし頃