大川 淳先生からのメッセージ

大川 淳

田中雄二郎先生におかれましては、定年退任の日をご健康な状態で迎えられたことを、心からお祝い申し上げます。尿路結石などでご入院のこともあったようですが、今後のご活躍もまた心身の健康が基本ですので、ぜひお身体をご自愛していただければと思います。

さて、私と田中教授のお付き合いは平成15年にさかのぼります。すでに20年近くです。それ以前の20年間単なる整形外科医であった私を、新臨床研修制度が開始される前年に総合診療部講師として迎えていただきました。整形外科医局長として運営会議などで言いたい放題であったので、取り込まれたのかもしれません。ハーバードの虎の穴一期生としてボストンでの大変つらくて寒い1週間をすごしたあと、それ以前は考えることもなかった医学教育の道にいざなっていただきました。私自身は整形外科の中でも脊椎外科というさらに細かな領域の外科医でしたし、田中教授も肝臓が専門でしたので、名ばかりの総合診療部といういい加減すぎるネーミングの部署への異動には少なからず戸惑いました。ただ、私自身は運命論者なので、声がかかるうちが花という思いで田中先生のもとに馳せ参じました。

最初の仕事として、病院のセカンドオピニオン外来の確立を命ぜられたことをよく覚えています。当時は、大学病院でセカンドピニオン外来を開設しているところはほとんどありませんでした。参考書籍を買い求めて読み漁る私に、例の調子で「都庁で講演会があるからいってきて頂戴」という命が下りました。都庁などというものには足を踏み入れたこともなく、莫とした不安がありましたが、驚いたのはその会場に田中教授もおいでであったことです。それまでは何かを頼まれれば上司がいることはありえなかったので、そこに教授がお見えになるとは思いもしませんでした。

以来、田中教授はいつも自ら率先して新しいプロジェクトに取り組まれることは皆さんもご存知の通りです。レジナビしかり、EPOCしかりです。総合診療部は臨床医学教育開発学として医学教育に関する数多くのプロジェクトを発信しましたが、そこに参画することでプロジェクト・マネージメントを、身をもって学べたと思っています。それが現在の医学部附属病院長職としての基礎を作ってくれたことはいうまでもありません。

田中教授には数多くの教え子がいるわけですが、おそらくその薫陶を最も受けたのは、僭越ながら私自身と自負しています。指導は大学内、病院内に及ばず、ときに通勤電車内でも行われたのはご存知の方もおいでかと思います。マネジメントの在り方をビジネス界や歴史上の先達の話を交えながら、教えていただきました。私自身はボキャ貧ゆえ、自分の後進にそれをうまく伝えることはできませんが、幸いにも学生時代に頭を使うことの少なかった整形外科の後輩たちは、私のつたない話にもよく反応してくれています。田中教授が先導された東京医科歯科大学の医学教育が我が国を代表する存在になったのはいうまでもありませんが、医学部附属病院における診療の発展もトップマネジメントとしてのご指導の賜物と思います。今後もさらに困難な時代を迎える医学・医療に対して、皆が明るい将来を迎えられるよう、ご指導を改めてお願いする次第です。