高田 和生
私が初めて田中先生と関わりを持ったのは、2005年末の卒後臨床研修実務者会議で、チーフレジデント制度導入に関して私が発言した後であった。「先生、この制度のワーキンググループを立ち上げるので入ってくださる?」その後、医学英語担当教員(2006年4月より)、ハーバード教員派遣団長(2006年9月)などで田中先生のご指導のもと医学教育に従事し、2010年3月からは医歯学融合教育、そして2012年4月からはグローバル人材育成と、出身の膠原病リウマチ内科から完全移籍して田中先生の直接指導のもと、ゼロから教育プロジェクトを立ち上げる機会をいただいた。
田中先生には、指導者、コンサルタント、メンターなど、私が業務を進めキャリアを構築するにおいて、様々な役割を果たしていただき、感謝してもしきれない。この13年半の私のキャリアを作ってくださったと言っても決して過言ではない。そしてこの13年半、田中先生と一緒に仕事をさせていただく私は常にワクワクしていた。田中先生との仕事では、常にクリエイティビティとエクセレンスが求められ、田中先生はどんな意見も決して頭ごなしに否定することなく、常に創造的で建設的な議論を展開くださったからである。そして、一緒に仕事をさせていただきながら、私はどれだけ頑張っても田中先生に決して及ばないだろうと感じていた。その理由は、田中先生が常にユーザー目線に基づいて原因考察と解決策検討を行う真のデザイン思考実践者でいらっしゃり、そして恐ろしく広い視野・長期的視点と、卓越したネゴシエーションスキルをお持ちだからである。理事になられた後も医学科の問題学生と面談される姿から、ユーザー目線の重要さを改めて学ばせていただいた。
胸にぐさっと突き刺さるメールに憂鬱なまま過ごした週末も稀にあったが、田中先生は私にとっては完璧なロールモデルであった。