原 祥子先生からのメッセージ

原 祥子

現在の所属 東京医科歯科大学 脳神経機能外科学分野
専門 脳神経外科
卒業年次 医57・H21年・2009年

田中雄二郎先生は私が入学したときから教育担当として何度も教壇に立たれていました。いつぞやおっしゃった、『僕は学生全員の成績を諳んじているから』というお言葉が非常に衝撃的で、今でも先生のお名前を拝聴するとこの言葉を真っ先に思い出します。田中雄二郎先生は学生それぞれに「xxさん」と個人名で呼びかけられ、お話はいつも聞き取りやすい声でわかりやすく、プレゼンテーションもいつも簡潔で内容が明瞭に伝わるものでした。学生同士で会話するときはいつも親しみをこめて「雄二郎が~」とか「田中雄二郎が~」と(実に失礼ながら)気安く呼び捨てておりました。

医学部卒業後の私は、当大学病院初期研修医プログラムI(いわゆる「たすきがけ」)ににより、研修医1年目は武蔵野赤十字病院に赴任することになりました。同病院は臨床研修制度以前から研修プログラムの歴史が長い有名研修病院で、それまでたすきがけプログラム参加に前向きでなかったそうで、私は同病院に赴任する初めてのたすきがけ研修医でした。赴任直前、2009年3月の研修医歓迎会で田中雄二郎先生にお会いした際、『君が第一号だからね、君ですべてが決まるからね、来年もたすきがけがあるかは君次第だからね』と激励(?)をいただき、大変なプレッシャーを感じました。このお言葉を胸に全力で一年間の研修医生活を過ごしたところ、医科歯科の研修医はいらないという話にはならずにすんだようです。来年もたすきがけ研修医が来ると聞いたときは大変安堵いたしました。

当大学脳神経外科入局直前に結婚した私は4月早々に妊娠し、医師3年目は大きなおなかで病院内各所を行ったり来たりして過ごしました。病棟でカルテを書いていたら、監査でいらした田中雄二郎先生が『そんなんで仕事しちゃって大丈夫なの?無理しないようにね』と声をかけてくださいました。出産後に復帰した時、大学院生で大学に戻った時も、たまにエレベーター等でお会いすると、『やせてない?大丈夫?食べてる?』と声をかけてくださいました。やせてない?というのは、学生時代の私を覚えているということですよね。学生を数えきれないくらい見ていらっしゃるはずなのに、覚えていただけているんだなと毎回驚きを感じながら嬉しく感じ入っておりました。

医学部から研修医に至るまでを振り返ると、私が受けた医学教育は、田中雄二郎先生そのものであったな、と思います。高いところから一方的に全員に向かってものを言うのでなく、学生ひとりひとりを把握し個別対応されていた教育方針は、座学中心の講義から個々人が自主的に動く臨床研修中心の医学教育に移行してきたこととも合致しているように思います。学生の名前と顔(と成績)を把握し、それぞれに声をかけていらしたこと、心から尊敬しておりました。ご定年おめでとうございます。そして、退職後の益々のご活躍をお祈り申し上げます。

2009年3月謝恩会