村川 美也子
現在の所属 | 東京医科歯科大学医学部附属病院検査部/消化器内科 |
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専門 | 消化器内科 |
卒業年次 | 医52・H16年・2004年 |
田中先生、このたびはご退任誠におめでとうございます。ずっと医科歯科のお母さん(お父さん?)であった田中先生が退任と聞いても全く実感は沸きませんが、考えてみれば田中先生に出会ってからかれこれ約20年近く経つ訳で、年月の速さと自身の歳を痛感します。
おぼろげな記憶の中から頑張って田中先生との思い出を掘り起こしますと、最初の印象は“なんか新しい授業やカリキュラムが始まるたびに説明に登壇する先生”といった感じだったように思います。M4かM5か、当時は総合診療部が出来た頃で、おそらく授業内容の改革などもあったのでしょうか、新しい取り組みとして色々な実習や授業が行われ、更に我々の学年は臨床研修必修化の初年度ということでCPCのトライアル、初めてのマッチングなど学生も先生方も未経験のイベントばかりでした。田中先生はイベントの度に登場されては懇切丁寧な説明・注意をされ、どうでもいいような悩み相談や進路相談に教授室の門戸を開いては学生の不安解消に尽力され、そうこうするうちに我々は田中先生に勝手に親しみを覚えて、「雄ちゃん」、「雄二郎」(失礼します!)などの愛称でお呼びするようになりました。
学生が先生を慕うのはいいとして驚異的なのは田中先生の記憶力で、毎年100名近くの学生が次々卒業していくなか、どうやって個々の性格や何をやらかしたか等を事細かに把握し、覚えていらっしゃるのか不思議でなりません。私がM6の時、卒後研修病院の選択に迷って友人とともに御相談に伺った際も、それまで個人的にお会いしたこともないはずなのに適切なアドバイスをくださり、勧めていただいた柏市立柏病院は私にとても合った初期研修先でした。柏で研修した結果、学生時代には考えてもみなかった消化器内科への入局を決意し、現在に至るまで消化器内科医の端くれとして「悪くない選択だったな」と思いながら暮らしていますので、今の私があるのも全ては田中先生のお導きのお陰と言っても過言ではないように思います。卒業から6年経って大学院生として帰学した後も相変わらず顔を覚えていてくださって、学位論文の副査でお世話になり、総合診療部の医員として日々御指導いただいたりおやつをいただいたり、さらに検査部に移った後も数々のアドバイスをいただき、何かにつけて気にかけてくださる姿はやはり「医科歯科のお母さん」であり、感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
いただいたアドバイスを殆ど実現できていない不出来な教え子で申し訳ない限りですが、ほんの少しでもご恩を返せるよう今後は多少なりとも努力してまいりたいと思います。いまだに不惑どころか立志もおぼつかずにフラフラしている私を叱咤激励し、道を示してくださっていた田中先生が退任されるのは心細い限りですが、定年後もきっとまだまだ御活躍されるものと期待しております。今後とも御指導のほど何卒よろしくお願いいたします。