能勢 裕里江先生からのメッセージ

能勢 裕里江

現在の所属 東京医科歯科大学
専門 脳神経病態学分野(神経内科)
卒業年次 医59・H23年・2011年

田中先生、このたびはご退任、心よりお祝い申し上げます。

私は、2005年からは学生として、2011年以降は初期研修医・神経内科医員・大学院生として東京医科歯科大学に在籍しています。その間、田中先生には、教育委員長・臨床教育研修センター長・病院長・大学理事として、長くお世話になってきました。田中先生が医学教育改革をされ、医科歯科を人気ある研修病院にしたご功績は誰もがご存知のことと思いますので、私は、学生時代からの思い出を振り返ることで、学生や研修医にとっての田中先生像をお伝えできればと思います。

田中先生のお人柄を知ることになったきっかけは、縦断チュートリアルで先生が担任になられた時のことです。私の惨憺たる成績に気が付いた田中先生に、「あら、あなたこれ大丈夫なの?再試20個以上もあって、ご両親はなんて言っているの?」と聞かれ、「面白がって、『ためとし(留年)』と呼ばれています。」とお答えしたことがあります。田中先生は、「ためとしだってぇ?」と面白がり、「女子で留年なんてなかなかいないわよ~?」といいながら、なぜかカリキュラム表をもってきてくださり、「勉強いつする予定なの?」「何からやっていいかわかんないときどうするか知ってる?すっごく簡単な教科書を読むのよ。」等、真面目な先生がおっしゃるとは思えないようなお話をしてくださいました。再試の山を抱えながらもそれをあまり大きな問題ととらえていなかった私が、新鮮にうつったのかもしれません。そのご助言がすぐに役立ち改心した、ということではなかったのですが、そのようにお話をしてくださった姿が「教育委員長」というイメージからは程遠く感じられ、以後、田中先生との距離を近く感じられるようになりました。臨床実習が始まってからは、自然と楽しさが増し無事卒業できましたが、田中先生は私をいつも面白がりながら見守り、「最初どうなるかと思った子もうまくやれるものなのねぇ、後輩たちの励みになるわ。」と、私を例に後輩たちにお話をされていたことも後から知り、うれしく感じたものでした。卒業時、皆で田中先生の顔写真の入ったチロルチョコを作ったこと、卒業アルバムの企画(「もし医学部に入っていなかったら」等)に先生に笑顔でご参加いただいたことは、先生のお人柄や、先生が学生から愛されていたことを象徴するエピソードではないかと思います。

卒後、臨床に出てからも、以前と変わらずよく声をかけてくださり、気軽にご相談にうかがえました。初期研修終了時に「あなたが研修終了だなんて、感慨深いわねぇ」とお部屋でお話をしてくださったことや、個人的には、結婚式であたたかいお祝いのビデオメッセージをくださったこと、ホームカミングデー・医学教育学会の懇親会等では、趣味で続けていたマジックを演じる機会をくださったこと、先生がご披露されるマジックのお手伝いをさせていただけたことも、大変ありがたく貴重な思い出です。

先生がご退任されるにあたり、改めてこれまでの思い出を振り返りますと、田中先生が、真面目とはいえなかった私を意外とすんなりとうけいれてくださったこと、絶妙な距離感で面白がりながら見守ってくださっていたこと、一貫して信頼してくださっていたことはとても新鮮で、このまま思うようにやってみていいのかなと思うきっかけ・自信のようなものを与えてくださったように思いました。田中先生が「教育委員長」「病院長」等と、私達からは遠い存在と感じるはずのお立場でありながら、かかわった学生や研修医等ひとりひとりを把握し、個別にお声がけしてくださっていたこと、成長を見守っていてくださっていたことは、他の学生や先生方のお話からもよくわかり、常々尊敬の念をいだいておりました。私も先生のような、立場によらず、個人を大切にし、さりげなく安心感を与え背中を押してあげられるような存在になりたいと感じています。

数多くの思い出がありますが、学生時代に田中先生と出会えたことは私には幸運なことで、とても感謝しています。ご退任された後も、ご健康でますますご活躍されますこと、祈念いたしております。本当にありがとうございました。

卒業アルバム企画「もし医学部に入っていなかったら…」より
2011年、ホームカミングデーにて
2018年、医学教育学会にてマジックをされる田中先生