佐藤 達夫先生からのメッセージ

佐藤 達夫

田中雄二郎先生、無事にご定年をお迎えになったことをお慶び申し上げます。
いまや東京医科歯科大学(TMDU)を抜きにしては医学教育を語ることはできない時代となりましたが、20世紀にはTMDUに医学教育なしと自嘲気味に語られていたのです。もちろん、そんなことはありませんが、優秀な教授陣の個人プレーにあまり頼りすぎて、システムとしての医学教育が軽んじられていたと思います。

改革には外圧が必要。それがモデル・コア・カリキュラム(コアカリ)であり、世紀の変わり目に襲来した神風です。コアカリは医学教育を転換させる動力車、これを始動させるには日本中の英知を立地のよい工房兼管制塔に集中させることが必須です。コアカリはわが医学部長室を1年以上もほとんど独占的に使用した成果であります。これにより、一方で全国の医学部は教育改革の指針を得ることができ、他方でTMDUは好むと好まざるとにかかわらず、医学教育の申し子にされてしまったのです。

大きなプロジェクトは新しいヒーローを生みます。それが地元のTMDUでは、はじめに奈良信雄先生であり、ついでわれらが田中雄二郎先生であります。1977年のことでしょうか、旧3号館と歯学部を結ぶ廊下を活用して作られた、大地震が来たら崩れ落ちそうな小講堂で28回生相手に好き勝手な講義ができ、そして富士山を背景に解剖学実習室で人体の神秘の解明のためにともに汗を流すことができたことは、望外の幸せでありました。ここでも座学にしろ実習にしろ雄二郎先生はなにごとも疎かにせずにとりくまれました。緻密で遺漏のない現在のお仕事の片鱗だったのでしょうか。

雄二郎先生が内科学を専攻され、総合内科学の教授を務められたことも意義深いことだと思います。コアカリ作製のお世話をして、内科の先生方が精細さと鳥瞰性とを兼ね備えておられるすばらしさに驚かされました。それに加えて雄二郎先生の類まれな実行力とリーダーシップ。これはDNAかもしれません。全国の医学部の指導者そしてまた医学教育学の先生方は、雄二郎先生が世襲の道を選ばずに、よくぞ医学を、そしてよくぞ医学教育を選んでくれたと喜んでいるに違いないと思います。

田中雄二郎先生、まだまだやり残したことが少なくないと思います。しかし、その一部はこれからでも自分で継続できますし、また先生が育てた俊秀達が引き継いでくれることでしょう。しばらくは彼らのお手なみを拝見しようではありませんか。